『全てがFになる』理系ミステリー小説20年ぶりに再読後の感想

死んでいることが本来で、生きているというのは、そうですね……、機械が故障しているような状態。生命なんてバグですものね。

最近、またミステリー小説を読みたいという気持ちが強くなってきたので、20年くらい前に読んだ森博嗣「全てがFになる」のkindle版を購入して読みました。犀川&萌絵シリーズ(S&Mシリーズ)の第一弾で、7作くらいは読んだはずなんですが、どこまで読んだか忘れてしまっています。京極夏彦の京極堂シリーズもどこまで読んだのか覚えてません。『すべてがFになる』はいつの間にかアニメ化されて、ドラマ化されたんですね。

あれから20年も生きてしまったのか…という。当時、『全てがFになる』の主人公の犀川先生に感情移入した記憶がありました。犀川先生の年齢を超えてしまった。あれから、自分はどう成長したのか?今でも感情移入できるのか?僕は当時大学生でUNIXをちょっと使っていたので、ネットの描写が理解しやすかったというのもあると思います。

「全てがFになる」が出版されたのが1996年。Windows95が発売されたばかりで、Apple製品は超マイナー、インターネット自体がまだ全然普及していない状況でした。ネットで何かを調べる場合には、Google検索をするのではなく、Yahoo!などのディレクトリ型のサイトからウェブサイトにアクセスするという感じでした。ディレクトリ型っていうのは、ショッピングモールのフロアガイドを見てお店に行くみたいな感じです。

Altavistaという全文検索エンジンが出た時すごい!と思っていたのですが、その後Yahoo!、そしてGoogleと、検索エンジンのシェアはGoogleの一人勝ちになっていきました。今でも後悔しているのが、Googleが世界を支配するのは分かっていたのになんで2010年までにGoogleの株を買わなかったんだろうということです。「海外の株を買う」っていう選択肢が自分の中になかったのです。

まあ、それは良いとして、インターネットが全く普及していない状況で書かれたのが『全てがFになる』なんですが、今読んでもほとんど違和感が無いのがすごいです。小道具のフロッピーディスクとブラウン管のテレビが出てくるのが古いだけです。

主人公の大学助教授である犀川の、仕事に関する考え方なんかも出てきます。物理的に集まらないといけない会議の無駄さ、電話が苦手とか。今読んでも共感できるし、世界は20年でそんなに変わっていなかったなと思いました。未だにIT系の企業ですら集まって会議してますからね。

殺人事件の舞台となる研究所では、メールや「トーク」というチャットによって職員間のコミュニケーションが行われます。だから職員同士は実際に会う必要がありません。「トーク」というネーミングがかなり時代を先取りしてました。また、AIやロボットが出てきたり、VR空間で謎解きが行われます。

研究所が舞台で、出てくる人間はほとんど理系。理系ミステリーなんですが、犀川の哲学的な考察は文系の人も共感できるような物が多いと思います。

元来、人間はそれを目指してきた。仕事をしないために、頑張ってきたんじゃないのかな? 今さら、仕事がなくなるなんて騒いでいるのはおかしいよ。仕事をすることが人間の本質ではない。ぶらぶらしている方が、ずっと創造的だ。

とか。ミステリー、いやミステリィとしても面白いんですが、そういう哲学的な考察、犀川と萌絵のやりとりとか楽しめます。20年ぶりに読んだのですが、ずいぶん「今風」なのに一番驚きました。『すべてがFになる』が全く時間によって風化していないのは、本質を捉えているからでしょう。

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M (講談社文庫)
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